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 地名と説明
 
黒檜山
 赤城山の最高峰、標高1828メートル。
古くは、「黒穂、久呂保の峰呂」、雷雲の起こる山とよばれておりました。
頂上に、高於神神社が祀られておりましたが、明治22年赤城神社(大洞・元宮)に合祀されており、
現在も石宮が祀られております。
登山口は、小鳥ケ島、赤城神社裏手にありますが、ここからの登山は、かなり急です。
急斜面をよじ登った中腹の、猫岩からの景色は素晴らしい。

 
駒ケ岳
 黒檜山の南、大洞よりに位置する山。標高1689メートル。
覚満淵から5分ほど歩いた大洞寄り(赤城広場駐車場近く)に、登山口がある。
駒ケ岳、黒檜山を経由して、赤城神社裏手、小鳥ヶ島に降りるのが楽なコースです。
五月初旬には、山肌にヤシオつつじ咲き、ムラサキの花が大変きれいです。
かつて、この頂には駒ケ岳社が祀られておりました。


   駒ケ岳より小沼をのぞむ
 
薬師岳
 黒檜岳の西に位置する。標高1524メートル。
麓、大沼より流れ出る川があり、白川の源流である。
この付近を沼尻とよび、この付近に薬師如来を祀るお堂があり、沼尻薬師といわれ、
「霊験あらたかなること関東に広まり、願い成就の暁には、石の尊像を奉納する慣わしあり、境内夥しい数の石像あり」と伝えられております。
また、頂上に薬師社があました。赤城神社(大洞・元宮)に合祀されております。


    薬師岳
 
出張山
 薬師岳の南西に位置する。

   出張山〜薬師岳の登山口

       ここを左へ


    出張山から薬師岳
 
見晴山

 新坂平の北に位置する小高い丘。
六月初旬の蓮華レンゲつつじの頃に登ると、一面に広がる素晴らしい景色です。天気が良い時には、富士山が見えます。


   見晴山登山口
地蔵岳
 神庫山ほくらやまとも呼ばれ、かつて、赤城神社が小沼から見上げる頂(中腹)に祀られおり、
大洞元年(806年)に大沼南端の地に移されたと伝えられている。
また、頂に幕末まで地蔵尊を安置したお堂が建てられておりました。

 
       地蔵岳と大沼
 
        地蔵岳頂上
 
       地蔵岳頂上
 
    かつてあったロープウェイ
 
鈴ケ岳
 地蔵岳の西方に位置する。標高1564メートル。
頂に鈴ケ岳社を祀る。
「山腹に洞穴あり、赤城神社例大祭・山開きの前日には、近隣の若者達、この穴にお篭もりと称し、ここで一夜を明かす」と伝えられる。
志賀直哉の「赤城にてある日」にも、穴蔵とある。



頂上には、鈴ケ岳社の跡がある。
かつて、鈴ケ岳信仰、鈴ヶ岳講の栄えた頃の名残である石碑がある。
明治22年、赤城神社(大洞・元宮)に合祀されている。

 


   新坂平より鈴ケ岳へ
 
鍬柄山くわがらやま
 新坂平がなだらかに傾斜し、小高い山が連なる。
姥子山、鍬柄山、たるみ、鈴ケ岳とつづく。
標高1565メートル。


       姥子山にて
 
小地蔵岳
 別名、虚空蔵岳とも謂う。
かつて、ここには小沼の本地仏、虚空蔵尊が祀られていた。
標高1558メートル。
 
長七郎岳
 小地蔵岳の南、小沼の東に位置する。標高1580メートル。
頂には、松平長七郎を祀った社がありました。


      長七郎岳頂上

   頂上より駒ヶ岳・黒檜をのぞむ
 
朝香山
 小沼の西に位置する。
古くは「中山」と呼んでいたが、朝香宮が登拝されてから、朝香山と呼ぶようになった。
 
荒山
 地蔵岳の南西に位置する。古くは、小路の岳と呼ばれていた。
標高1572メートル。かつて、山頂には、荒山社が祀られていた。
レンゲつつじが、見事に咲きほこる。
また、永禄十二年(1569年)、富士浅間神社の神様が山頂に降臨し、ここに、浅間神社を祀るとある。
荒山の前に位置する山を、前浅間山と謂うは、このためです。
明治22年、赤城神社(大洞・元宮)に合祀される。


 
鍋割山
 荒山の南西に位置し、前橋方面から登ると、前面に大きく張り出している山。
標高1332メートル。
その昔、弘法大師が一山百谷存在の地を求め赤城山にいたるが、荒山に隠れ九十九の
谷しか認められず、がっかりして、持っていた鍋を落としてしまった。
この鍋が割れ、この名前がついたと伝えられている。


 
大沼おの
 「おの」標高位置1340メートルに位置する。
周囲約4キロメートル、深さ約18メートル。かつては、深さ百尺と伝えられる。
覚満淵より、宮尾川、他幾つかの渓流がそそぎ、沼尻より沼尾川が流れ出る。

 
小鳥ヶ島
 大沼、東岸に位置し、かつては島であったが、水位の低下によって、現在は地続きとなっている。
かつて、ここには厳島神社が祀られており、鎌倉時代に法華経供養のために建てられた多宝塔がある。
昭和45年、赤城神社(大洞・元宮)が、大洞の地より遷宮された。


    小鳥ヶ島の多宝塔

       赤城神社
 
大洞
 大沼南端の地。
大同元年(806年)赤城神社を、この地に遷宮するとある。
その年号にちなみ、大洞と名づける。
 
御神水
 大洞、あかぎ神社跡地、東に位置する。
林のなかに一掬(ひとすくい)千金に値するという湧き水がある。
古くは、赤城神社(大洞・元宮)で雨乞いの祈願をし、この水を竹筒にいれ持ち帰り、田の口に流したという。
江戸時代には、将軍家に献上され、幕府はこの水を守るために、付近に厠等の不浄物の建築を認めなかったという。


 
覚満淵
 湖面標高位置1360メートル。
周囲500メートルの水辺と、そこを囲む覚満平と呼ばれる湿原地帯。
ニッコウキスゲ、モウセンゴケ、ミズバショウ等が群生する。

「神道集」には、上野国赤城山三所明神、内覚満大菩薩事として、

「人皇十九代允恭天皇の御世(五世紀の頃)、近江の国、美濃の覚満は諸国修行の後、赤城山に至り、
この淵の渚にて法華経を読経す。
上毛の神をはじめ、諸国の神集まりて聴聞する。
その功徳により、覚満大菩薩となる。
本地仏は地蔵菩薩。大沼は本地仏、千手観音。
小沼の本地仏は虚空蔵菩薩をあて、赤城三所明神と謂う。」

と記されている。

 
小沼この
 地蔵岳の東南に位置する。湖面標高1460メートル。
周囲約1キロメートル、水深約5メートルの火口湖。
小沼より流れ出る小沼川は、宮沢とも呼ばれ粕川へとつづく。
かつて、ここには小沼宮(豊受神社)が祀られていた。
大洞元年(806年)神庫山(地蔵岳)に祀られていた赤城神社が大洞に遷宮され、ここに、小沼社を建てるとある。
後の豊受神社である。
現在は、赤城神社(大洞・元宮)に合祀されている。


   小沼と、その右下には血の池
 
血の池
 小沼の西に位置する深さ1メートルほどの小さな池。
ヤマヒゲナガケンミジンコというプランクトンの大量発生によって、水が赤く染まる。
 
小沼平
 小沼の西、地蔵岳南一帯の平地を呼ぶ。
つつじの見所である。
 
オトギの森
ガキボッタ
 ガキボッタは小沼平の南に続く平地、オトギの森はさらに南に下ったところ。
大木が立ち並ぶ森。
あまり人が訪れぬところであり、つつじの花も多く咲く。
 
銚子伽藍ちょうしのがらん
 小沼から流れる水は、渓流を下り「小滝」、そして「銚子伽藍」へ流れ込む。
「外輪山の絶壁から、落ちる水は地底に轟き、水飛沫は霧となり、見上げる青空に虹を浮かべ、絶景を成す。」
と古くから称せられている。
流れは、「大滝」へと、つづく。


 
鳥居峠
 駒ヶ岳の東南に位置し、水沼方面へとつづく。
水沼から、一の鳥居、二の鳥居を経て、利平茶屋、そして鳥居峠へたどり着く、赤城山登拝の道であった。
勿論、かつては、この峠に鳥居が建っていた。
鳥居を通し、覚満淵、大沼を眺める景色は、さぞかし素晴らしかったことであろう。
昭和30年代、利平茶屋と、ここ鳥居峠を結ぶ、地上ケーブルが運行していた。
現在、ケーブルの駅はレストランに改装されているが、そのたたずまいを残す。


     覚満淵と鳥居峠

      鳥居峠山頂駅

            鳥居峠より水沼方面をのぞむ
 
地獄谷
 地蔵岳と荒山の間の谷を地獄谷と呼ぶ。
鉱泉が湧き出て宿屋一軒あった。
前橋方面から登山すると、一杯清水につづき休憩所であったが、現在は宿屋も無く、車道から離れ、その面影は無い。
多くの文人が宿泊した。